編集点のない日々。切れ目なく毎日はつながっている

テレビでニュースやバラエティを観ている時に好きなのが、「編集点」だ。
カットが変わる一瞬。時間が飛ぶ、場所が変わる、空気がガラリと入れ替わる。「ここが変化だよ」と合図のように提示され、編集する人、その後ろにいるディレクター、さらにその後ろにいるプロデューサーの意思が明確になる瞬間である。
しかし、現実には、編集点がない。何かが終わったと思った次の瞬間も、その延長のような気配を残したまま続いていく。自分の気持ちも唐突には切り替わらない。
最近、人生の大きな転機といえる出来事があった。でもそれは、自分の視点で見ると、昨日とつながっていたし、明日にも続いていた。明確に変わったわけではなく、日めくりカレンダーをめくるがごとく、じわじわ移り変わっていった。
ふと、日常の忙しさにかまけて生活のタスクを取りこぼした時でも、毎日ストレッチができていなくても、朝寝起きが悪くても、「ま、こういう日もあるか」と思えるようになったことに気づいた。ある日突然ではなく、編集されずに流れ続けた時間の中で、自分がゆっくり変わっていったのだと思う。
「ここからが新しい私」、という切り口は無限にある。お正月に始まり、誕生日、引っ越し、結婚、転職、ささいなところでいえば日曜日の夜や月曜日の朝。節目を「編集点」に見立てて、自分を切り替えようとすると、うまく事が運ぶことは多々ある。
でも今は、そういう「きっぱりした何か」がなくても、「昨日とはちょっと違う今日」を受け止められるようになった気がする。
編集点がないから、わかりづらい。その反面、編集点がないから、つながっている。
たくさんの好きなことがあって、「飽きっぽい」と言われることもあるけれど、私の中では確実につながっている。どれも全部が自分で、「自分が変わっていく途中にいる」ということなんだと思う。
区切られなかった日々も、静かに自分を運んできた。私は編集されていない人生の途中にいるだけだ。