未完の部屋――重なった日々からの脱出、第一歩

何度そろえてもなぜか片方ずつになる靴下を見やりながら、洗濯物を外に干す。台所はかろうじてペットボトルの山を免れている一方、リビングは果てしなく散らかってゆく。
ここには、これまでの自分が選び取りきれなかったものすべてがある。そして、私が手を出せない――自分の信条から、他人のものには手をつけない――夫のものも、山とある。突きつけられるのは「今日こそ何かを選び直せ」という無言の圧。まだ見ぬ余白がきっとどこかにある。
床に沈む時間の影
私の動線には雑誌や紙袋など過去のもので作られた迷路が横たわる。この部屋に引っ越してきてからの日々が層になって沈んでいるのがわかる。
時間が積もっている。買って一瞬使っただけのハンドクリームは、その香りを存分に発揮することなく季節をまたいだ。ファンクラブからのダイレクトメール、かつての買い物のレシート、楽しく買った雑貨。それらは不思議と、どれも「ただのゴミ」と呼び切れない。消費されなかった期待、使われなかった余白。かすかな後悔をまとうそれらは、私の注意を引くのを静かに待っている。
たぶん今ならまだ、何かを動かせる。もしかしたら、この部屋はまだ芽吹ける。
なぜか今、部屋に降り積もる「動けなさ」を剥いで、これからの呼吸が入り込む道を作れるような気がした。私は使っていなかったハンドクリームに手をかける。ほんの少ししか使えずにそのままの形を保っているパッケージは、ほんの一瞬だけ思い出を取り戻す。
しかし、そこに囚われていたらいけないのだ。新しい呼吸を取り戻すために、私はハンドクリームをゴミ袋の中に放り込んだ。
埋もれた景色を掘り起こす
Amazonからの段ボールは山というより断層だ。丁寧にそれをほどくたびに、紙の擦れる音が薄闇に放たれる。私はスコップの代わりに指先を使い、その地層を少しずつ削り取ってゆく。
紙類の山から現れたのは、観光地のパンフレット。角がかすかに丸くなり、表紙からは懐かしさが漂ってくる。その時の情熱は季節をまたぎ、ここで眠っていた。
その下から、いつかのライブの半券がこぼれる。今年も絶対に行こうと誓うライブ名が、かすれた文字で見える。覚えているのは暑く湿った夜風と、熱狂の余波。思い出は鮮やかなのに、紙切れは小さく折れ、年月に押し花のように挟まれていた。
見つけたものを「残す」「手放す」に振り分けると、次第に小さな“博物館”ができていく。捨てられないのは物そのものではなく、そこに貼りついた記憶だと気づく。それでもゴミ袋に入れた瞬間、過去は静かに軽くなる。
気づけば、足元に短い回廊が生まれていた。露わになった床を風が通り過ぎた気配がして、掘り返した景色は、思ったより明るい。私はそっと立ち上がり、次に削る断面を見定める。
ひとつ手放すたび、空気が軽くなる
新しいゴミ袋の口を開くと、静かな吸気音がした。
もう不要となったパンフレットが滑り込んで、底でくにゃっと折れ曲がる。ゴミ袋がほんの数グラム重くなったぶんだけ、気持ちはわずかに軽くなった。
次につかんだのは、古びたバッグ。雑貨店で安いからと衝動買いしたそのバッグは、結局2~3回使っただけで、クローゼットの奥で眠っていた。今の私には、もう似合わない。やさしく畳んで、これもゴミ袋に入れる。
棚の奥に不自然にねじ込まれているマグカップを手に取る。これがやってきた経緯と、飲んだコーヒーの味がほんのり思い出される。思い出を弔うように、マグカップを「燃えないゴミ」の場所によける。
物と物をより分ける音。ビニール袋の口をしゅっと縛る音。袋の中の影が少しずつ重くなり、代わりに部屋の空気が澄んでいく。
振り返ると、床の回廊は先ほどより長くなっていた。隙間風が奥まで進み、まだ手つかずの山々をやわらかくなでる。「ここにも呼吸を」と求めるみたいに。
息を吸うと、鼻腔の奥に乾いた紙の匂いが届く。捨てたものと引き換えに戻ってきたのは、物では埋められない“余白”だった。
もっと手放せる。そう思えたら気持ちは軽くなった。
余白が芽吹く
袋をしばったあとに残った静寂は、意外なほど広かった。
かすかににじむ汗。陽射しは傾きはじめ、カーテンの影が床板に落ちている。そこは、ついさっきまで物の山が築かれていた場所――いまはただの、何も載っていない平面だ。
私はその小さな明るい四角を踏まないように歩く。ふと、部屋の中心にぽっかり空いたそのスペースが「ここへ何を置く?」と問いかけてくる。けれど私の答えは、「当分何も置かない」である。何もない場所は、余白の芽吹きに似ている。
段ボールの山が少し低くなると、窓がスクリーンのように現れる。
ここに映したいのは、これから差し替わる時間そのものだ。朝は白く、昼は揺れる影が走り、夜はシルエットを映す。私は窓から見えるようになった景色に目をやり、何も立てかけまいと誓う。空白は装飾よりも強い表現を持っている。
あとは、私の片付けへの意欲が、気まぐれに散らないよう祈るだけだ。
空いた床はそのままに、壁は白いままに――未完成の居場所は、明日も変わらず待っていてくれるはず。私は灯りを落とした。余白が確かに息づいている。
未完という贅沢を残して
夜更けにふと目覚めると、薄闇に溶ける部屋が目に入る。
フローリングの床は静かだ。つい数時間前まで紙袋やレシートが重なり合い、音もなく沈んでいた場所。いまは四角の余白の呼吸がひそやかに往復している。
私は立ったまま、段ボールの山に目をやる。
隣には、まだ動かせていない箱や雑誌の山がいくつも残っている。未整理の書類も、古い充電ケーブルも、明日以降の判断を待って、静かに佇んでいる。それなのに、焦りはない。手つかずの混沌こそが、この部屋に生まれた余白を守っているからだ。
思えば、完璧を求めるたびに部屋は息苦しくなり、心も同じ速さで狭くなった。けれど今日は違う。削り取れなかった欠片をあえて残す。安堵と未練が混ざったこの風景が、まだ名前のない未来を招き入れる。
窓の外で、電車が走る音が遠くに鳴っている。
それは一日の終わりを告げる合図であり、次の始まりを呼び出す合図でもある。私はカーテンを少し開け、空の色を確かめる。街灯のオレンジが夜を淡く染め、どこか柔らかさを帯びている。
「ここでいい」ではなく、「ここからでもいい」。
欠けたままでも進めると知った瞬間、未完は欠点ではなく、贅沢な余白へと姿を変える。そこへ光を通し、風を通し、いつか芽吹くもののために場所を空けておく――それが今日の片付けで得た一番の収穫だ。
未完という余白が、夜のように静かで、どこまでも広い。また眠りにつきながら、まだ見ぬ朝をゆっくりと想像してみる。