日記
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信頼の断面図――どうせ壊れていくなら、静かに

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母親に何かひどいことをされたわけじゃない。一方的に気にしているだけかもしれない。私が引っかかっていることに、相手は気づいていないかもしれない。それでも、もう元には戻れない、と感じた瞬間があった。

母親が自分に望むものと、母親の言動が不一致だったとき。自分に報告が来てもいいはずのことについて連絡が一切なかったとき。大きな裏切りではなかった。小さな諦めの積み重ねだけがあった。

親子の間の信頼関係が壊れる音というのは、たぶん、そんなに大きくない。スマホのカバーガラスのように少しずつひびが入って、あんまり視界には入らない。そのうちないものとして扱われる。確実にそこにあるのに、見えなくなっている。

それでも私は、直接母親に対して文句は言いたくない。なぜだろう。

お互いの思惑が少しずつ食い違い、それに少しずつ気づかないふりをして、少しずつ距離ができた。

どこかで止めることはできたかもしれない。でも、無理して止めたくなかった。壊れるなら壊れるままにしたかった。

これまでのように、知らんぷりして連絡をすれば、元のようには戻るのかもしれない。たった一言「元気にしてる?」とメールを送れば、きっと返事は来るだろう。けれど、その一言に、これまで気づかないふりをしてきた私の罪がぶら下がってしまうので、どうしても送れない。

信頼関係が壊れるとき、誰も悪者にならない。ただ、静かに関係が終わっていく。

お互いに年も取った。私が一方的な支援を始めた頃の母親の年齢に、私が近づきつつある。

いまさらあらためて話すほどのことじゃない。話してまで解決したいと思わなくなってしまった。

たぶん、このまま少しずつ距離ができていって、よかったんだと思う。

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