自分をやり直す温度

月に1日程度、「イヤーバランスセラピー」に通っている。
50歳を迎えようという今まで、私はとても中途半端に健康に気を付けてきた。調子が悪ければ薬や病院に頼り、スマートウォッチで歩数や睡眠を可視化する一方で、頑張って整体に通ってみたもののお金がうまく回らずあきらめたり、突然思い立ってフィットネスジムに入会したらコロナ禍が来て遠ざかり、そのまま退会したり。もともと運動が嫌いで食べるのが好きなものだから、最近は服のサイズがひとつ上がるくらいには太ってしまった。
そんな私が、冒頭のセラピーのサロンで勧められて、無理なく続けられているものがある。白湯だ。ただのお湯。
今に至るまで、「冷たいものの摂りすぎはよくない」という話は何度となく耳にしてきた。寒い時期にはマグカップに水を注いで電子レンジでチンする「さらにお手軽な白湯」を飲んだこともある。でも冷たい飲み物を積極的に避けていたかというと全然そんなことはなく、アイスコーヒーは好きだし、アイスティーだって飲むし、たまにはコーラも飲んじゃう。そんないい加減な飲料生活を送ってきた。
サロンではいつも白湯を出してくれるのだが、ある暖かい日になんとなく気になって「冷たい水はあんまりよくないですかねぇ」と聞いてみた。セラピストの方は「体が冷えるし胃腸にも負担になるので白湯がおすすめです」と言った。よくある白湯の効能である。白湯を勧める人にはだいたい「ですよね~」くらいの受けで話を合わせるのだが、なぜかその時は「そうか、胃腸の負担になるな」と素直にアドバイスを聞けた。
ここで「朝にやかんでお湯を沸かし……」とでも続けば理想的なのだろうが、その辺は相変わらずテキトーで、自宅にいる場合は簡単レンジ白湯、会社にいる時はウォーターサーバーのお湯をコップに入れて少し冷ましてから飲む(なんならそのまま水になる)というノリだ。でも期待値が低かったのがよかったのか、なぜかそのままずるずると続いている。
白湯には、継続を邪魔しない地味さがある。そもそも習慣としての主張が弱い。温度が下がれば水になるし、「飲んでも飲まなくても特に問題なくて、でも飲んでくれるならうれしい」のような温度。押しつけがましくない健康法は、案外長持ちする。
意味はそんなにないが、会社ではコーヒーと白湯を並行して飲んでいる。カフェインに頼って元気を出す悪習は以前からあまり変わらないが、少しだけカフェインを摂取する頻度が落ちた。多少なりとも「胃にやさしくできている」と思い込めるのもよい。完全に気のせいだが、「気のせい」を信じられる程度の体調は、まあまあ良い方なのだと思う。
白湯は気づかれないくらいがちょうどいい。「白湯を飲んでいる」とだけ書くと、どうも「丁寧に暮らしていそう」というイメージがつきまとうが、誰にも言わなければただお湯を飲む人で終わる。白湯には美味しさはない。今のところ、目に見えて元気になっているわけでもない。ただ、「多少は体を労ってストレッチしておくか」「前屈もしておこうかな」という動機づけにはなっている。
雑な暮らしに1杯の白湯。人生を変えるような劇的な効果はないが、生活がちょっとだけでも整う方向に向かう可能性を信じられるような気がする。白湯が私の「再起動」になったらうれしいが、ならなくても特に問題はない。だってお湯なのだから。